地 獄 の 接 吻 (62)

 

 その後の三日間は、気も狂わんばかりの激痛が続き、疲労感でぼんやり靄がかかったような頭が覚醒するほどでした。
何も考えている余裕などなく、ただ襲い来る痛みに狂乱しないよう堪える他なかったのです。
 高熱にも見舞われ、滝のように流れる汗が床に滴り、その上で七転八倒しながら、幻視ともなりかけの夢ともつかない曖昧な映像が、走馬灯のように目の前を駆け巡っていきました。
血飛沫が散る闇に光が射したかと思いますと、何もない、地平線ですら白い空に溶け込んでしまいそうな白い空間が現れ、一つの人影がぽっかりと浮かんでおりました。
宝石のような輝きを宿した黒い瞳は、どこか悲しげな色を湛えて、しかし歩み寄ることは出来ずにいるお姉様の姿だったのです。
ところが、わたくしが伸ばした指は空を切り、煙のように儚く消えてしまいますと、けたたましい笑い声が辺り一帯に響き渡って、闇が訪れ、鎌を手にした盛輝と白衣の男たちが、じりじりと歩み寄って来るのです。
すると、遥か彼方の闇の向こうから、老婆の呪詛が聞こえてきました。
「お前は神と人の間に生まれし生き神じゃ。お前は生まれ変わったんじゃ。怒れ!・・・怒れ!獣どもを八つ裂きにしろ!今こそ復讐の時じゃ!」
呪いの詞が唱えられる度に、傷が癒え、痛みが消えていくのがわかりました。
頭に轟く幻にうなされながら、残像がまとわり付いているような錯覚が消えないまま、意識が戻り目を開けますと、老婆がわたくしの横で平伏しながら読経していたのです。
すると、足音が聞こえてきました。盛輝と白髭の男が、階段を降りて来たのです。
「ふん、相変わらず馬鹿な姉だ」
こう吐き捨てたのは盛輝でした。
完全に現実に引き戻されたわたくしは、我が耳を疑いました。
八十はとうに過ぎていると思っていたこの老婆が、盛輝の姉などということがどうして信じられましょう。
わたくしは、咽喉まで出掛かった言葉を、寸でのところで呑み込みました。
「今日が三日目だ」
茫然としているわたくしに向かって、こう言ったのは白髭の男でした。
去勢した箇所に貼り付けてあった紙を、白髭の男が一気に剥がしますと、尿が滝のように迸り出てきたのです。痛みはもうありませんでした。
「これでお前の願いが叶ったというわけだな。おい・・・何とか言ってみろ」
盛輝がわたくしを足蹴にしながら、嘲笑を含んだ声音で言い放ちました。
しかし、わたくしは奥歯を噛み締め、哀れな老婆の読経を耳にしながら、最後まで無言を貫いたのです。
 性の越境は、自然にそうなるものだと信じていました。色づいた性の蕾が、いつかは咲き乱れるものと思っていました。男性から女性に変貌を遂げることが、生物学的に自然なことで、それに手を加えることは、自然の摂理に逆らう行為以外の何ものでもないと信じていたのです。
ただ、自然の摂理に身を委ねたかったのです。宦官にも、カストラートにもなりたくはありませんでした。必ずその時が訪れることを信じて、憧憬の念を抱きつつ、心待ちにしていたのでした。
このような手段で、性の越境を果たしてしまったわたくしの無念は、計り知れないものがあったのです。それも、残虐非道な盛輝と、気色の悪い、死人のような、無表情な白衣の男たちの汚らわしい手によって、手術を施されてしまったという事実は、心の奥底に、永遠に癒えない傷となって残ってしまうことでしょう。
姑息で卑劣な盛輝は、そうなることを知っていたからこそ、あえて断行したに違いありません。
 変わらないのは老婆だけでした。彼女は、来る日も来る日も、間断なく読経を続け、時にはわたくしに向かって平伏して、呪いの言葉を吐くのです。
いえ、彼女は老婆ではなかったのです。
かつては花司家の令嬢として生を受け、まだ四十か五十を過ぎたばかりの、妙齢の婦人であるはずなのです。
自分が誰であり、何故この暗い地下牢に隔離されているのか、そして、閉じ込めた憎むべき相手が何者であるのかさえ、すっかり忘れてしまっているのでした。
それでも彼女を突き動かしているものは、地獄の炎の如き憤怒と怨念であり、恐れを塗り潰す、終焉無き復讐心なのです。
同じ境遇であることから、同情の念を禁じ得なかったばかりか、実年齢よりも遥かに早く歳を取ってしまった彼女の顔には、虐げられてきた者特有の悲しみを、湛(たた)えているようにさえ見えてきたのです。
 しかし、わたくしからいくら話し掛けても、彼女が答えることは一切ありませんでした。ただ一方的に、わたくしを生き神と崇めては、延々と呪詛の詞を唱え、祭壇に向かっては読経する、毎日がその繰り返しであったのです。

 

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