地 獄 の 接 吻 (61) 足枷に束縛され、更に自由を奪われた日々が始まりました。 地下牢から脱け出したその日にはもう、鍵で固定された二枚の板の穴に足首を入れられ、鎖で繋がれていたのです。 足枷から壁に固定された杭まで、だらりと伸びた鎖が、身動きする度に、饐(す)えた臭いが充満する、暗く湿った牢の中で、ジャラジャラと耳障りな音を響かせるのです。 老婆の読経も止むことがありませんでした。 わたくしが牢から逃亡したことも、その咎によって足枷を嵌められていることも、老婆は全く気付いていない様子でしたが、踏みつけられ、虐げられた者たちの復讐を呪詛に込め、祭壇に向かい、白髪を振り乱しながら、眼をぎらぎらと光らせ、祈祷する姿には、鬼気迫るものがありました。 二度と食事を運んで来なくなった家令の代わりに、姿を見せるようになった盛輝が、両の足首に赤紫の痣がくっきりと浮かんできた頃、蔑むような尊大な口調で言い放ったのです。 「今日はお前の願いを叶えてやる」 薄ら笑いが、えもいわれぬ不気味さを感じさせました。 まるで、わたくしの生殺与奪の権は、自分が握っていると言わんばかりの、不敵な笑いだったのです。 足枷の鍵を開けて、痛みの走る両足で無理矢理立ち上がらせますと、衰弱して痩せ細った体を背中から突き飛ばして、階段を上がれと吐き捨てました。 老婆の読経の声を背中越しに耳にしながら、体を引きずるようにして、一段一段、ゆっくりと階段を上がって行きますと、鉄の扉の向こう側から、数人の男たちの話し声が聞こえてきたのです。 思わず躊躇して立ち止まってしまったわたくしの足首を、盛輝は下方から蹴り上げて、 「鍵は開いているんだ!さっさと上がれ!」 と怒声を張り上げました。 足の痛みに顔を歪めながら、力を振り絞って持ち上げますと、階上にいる数人の男がそれに気付いて、向こう側から一気に、鉄の扉が開かれたのです。 そして、盛輝に急かされながら這い上がったそこには、白衣を着た四人の男たちが、粗末なベッドを取り囲むようにして立っておりました。 彼らは全員眼鏡を掛けておりましたが、その奥に潜む黒い双眸は、どれも鋭く射抜くようにわたくしを見つめ、特に、白い口髭を生やした年長者と思しき男の顔には、嫌悪感がありありと滲み出て、路傍に転がる石を見るような、軽蔑の眼差しを向けていたのです。 そして、最初に口を開いたのも、この口髭の男でした。 「ここに横になれ」 どうしてこうも誰もが同じような尊大な物言いで、わたくしに言葉を投げ掛けてくるのでしょうか。 どこまでもわたくしは、人に忌み嫌われる存在なのでしょうか。 悲しさと恐れが入り混じった感覚に囚われながら、白衣の男たちが取り囲んでいる、毛羽立った毛布が一枚敷かれただけの、堅い木製のベッドの上に、身を横たえたのです。 天井から吊り下げられた三灯のランプが、ベッドに仰向けになったわたくしを煌々と照らし出し、その眩しさに、目を瞬かせずにはいられませんでしたが、それ以外の灯りは、部屋の四隅に立てられた、百匁蝋燭のみでしたので、壁という壁に、白衣の男たちの影が、まるで別の生き物のように、大きく蠢く光景は異様でした。 例の白髭の男が、わたくしの顔を覗き込んで、何の感情も籠っていない口調でこう尋ねてきたのです。 「中国の宦官(かんがん)を知っているか」 一体これから、何をしようというのでしょう。 わたくしは目を瞑って、あまりの恐怖のために、体を小刻みに震わせながら、小さく首を振りました。 「昔中国では、宦官になりたがった下層の人間が、自らすすんで手術を受けたそうだ。お前も望んでいたんだろう」 男が何を言っているのか、わたくしには全く意味がわかりませんでした。 戸惑っているわたくしを余所に、二人の白衣の男が、浴衣の前を肌蹴させ、両足を力強く引っ張ると、強引に開かせたのです。 動転してしまったわたくしは、逃れようと両足をばたつかせ、立ち上がろうともがきましたが、他の男たちが覆い被さってきて、抑え込まれますと、白髭の男が、紐帯を使い、手足や体をベッドに縛り付けました。 身動きが取れなくなったわたくしは、白衣の男たちの背後に立って傍観している盛輝が、せせら笑いながら、見下ろしている姿を、涙目で潤んだ視界の中に捉えて、言いようのない怒りが込み上げてくるのを感じたのです。 白髭の男は、わたくしの足元に、水の入った銀色の器を置いて、性器を洗い始めました。 そして別の白衣の男が、消毒液を塗っている間、傍らでは、白髭の男が鎌のように湾曲した鋭い刃物を手にしていたのです。 何事が起ころうとしているのか、この時になって全てを悟ったのでした。 全身に力を込めて、紐帯から逃れようとも、びくともしません。 四人の白衣の男たちは、わたくしがベッドの上でいくら暴れても、一向に気にする素振りも見せず、事務的に、淡々と、準備を整えていったのです。 白髭の男が、刃物を片手に、顎をしゃくって合図を送ると、他の三人の男たちが、わたくしの体がピクリとも動かぬように、渾身の力を込めて、抑え付けてきました。 咽喉が焼けるような痛みを感じるほど叫び続け、その声は、我が耳をも劈(つんざ)くほどの絶叫となって、部屋の中に、延々と響き渡っていたのです。 しかし、彼らは一向に気にしませんでした。氷のように冷たく、感情を閉じ込めたような目をした、悪魔の執刀者は、鎌状の刃物で、一気に、陰茎、陰嚢もろとも、切り落としてしまったのです。 それは、あっという間の出来事でした。 鮮血が飛び散って、白衣に降り掛かり、天井の梁に迸るのが、視界の隅に映ったような気がしましたが、体の芯を抉(えぐ)るような、気を失うことを許さないほどの堪え難い激痛が、絶え間なく押し寄せ、悶え苦しんでいたために、周りで起きていることは、殆ど目に入らなかったのです。 その間にも、白衣の男たちが、尿道を塞ぎ、冷水に浸した紙で傷口を包み込んでいくのがわかりました。 白髭の悪魔の執刀医は、眼鏡の奥の、死人のように精気のない目で、下腹部を火箸で掻き回されるような痛みに苦しむわたくしの顔を覗き込み、 「もう終わったぞ。だが勝手に動くな。死にたければ動いてもいいが」 と素っ気なく言い放つと、盛輝と共に、わたくしの視界から消えていったのです。 やがて、紐帯を解かれてベッドから起こされた後、二人の男に両脇を支えられながら、部屋の中を歩き回りました。 痛みは若干和らいでおりましたが、疲労の度合いが余りにも濃く、記憶が混濁(こんだく)していたのです。 足元が覚束ないまま、わななく膝を堪え、体中から汗を滴らせながら、暗い部屋の中をぐるぐると、三時間以上もの間、何往復も歩かされました。 それが終わりますと、ベッドの上で、しばらくの間横臥させられていましたが、盛輝が白髭の男と連れ立って戻って来ますと、再び地下室に引っ張られて行ったのです。 足枷を嵌めている盛輝の背後から、 「三日間紙を剥がさず寝てろ。水も一切飲むな」 と白髭の男が言い残しただけで、あとはさっさと階上へ上がって行きました。 戻る 62へ |
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