地 獄 の 接 吻 (57) 森下和真様 わたくし、あなたに殺されそうな気がするのです。 裸婦画を描き終えられたあの瞬間、あなたの顔が恐怖と激しい憤怒のために震え、絵画に色濃く反映されているのを見て、わたくしは全てを悟ってしまったのです。 いっそのこと、一思いに殺されてしまおうと、こちらに和真さんがおいでになるまで、お待ちしていようかと思っておりました。 でも、直接真実をお話したいとの一縷の望みさえ言下に拒絶され、有無を言わせず殺そうとなさるかもしれないと考えると、恐ろしくて堪らなくなってしまったのです。 どんな極悪人にも、腸(はらわた)をよじるような魂の苦痛を伴いながら、死に際の最期の懺悔をする猶予が平等に与えられているにも関わらず、わたくしの純粋な、ただひた向きにあなたを求めてきた、一点の濁りも無い熱情の一欠けらをも口にする望みさえ絶たれ、悪の化身の汚名を着せられたまま、予告なしに、不当に抹殺されてしまうことは、肉を引き裂かれるような、凄まじいほどの悲痛なのです。 でも、わたくしは、和真さんに殺されてしまってもいいと思っているのです。 いえ、どうせ死ぬのなら、和真さんに殺していただきたいのです。それが本望ですから。 憶えていらっしゃいますか?ルドルフ皇太子とマリー・ベッツェラの話をしましたわね。愛する人の手によって殺されることが、永遠の時の流転の渦中に、その動かし難い真実が永久に刻み込まれて、あなたと一体になれると、そして、別離の予感の苦痛に身悶えするぐらいなら、いっそのこと、マリーのように殺された方がマシだと、わたくしはあなたに申し上げました。その気持ちに何ら偽りはございませんし、今すぐにでもわたくしは、和真さんに殺して欲しいとさえ願っているのです。 でも、真実をお伝え出来ないまま、夜叉の面を被せられ、稀代の毒婦として永久に葬り去られてしまうのは、あまりにも不本意で耐え難いことなのです。 ですから、かような書き置きを残して、わたくしの真実の姿を、少しでも知っていただければ、単純な成り行きの果てに起こった出来事でなかったということを、理解して下さるはずだと信じたのです。 わたくしが、和真さんにお近付きになった経緯については、既に裏付けを取られているのではないかと思います。 でも、わたくしの出自を、恐らくはまだご存知ではないのでしょうね。 わたくしは、明治三十六年に、鎌倉時代以後に成立した名家の支流であります、花司家の庶子として生まれました。 つまりわたくしの父は、元老院議員、貴族院議員を歴任した祖父、花司輝政の嗣子、花司盛輝ですが、生母は正妻ではなく側室で、名を芳枝といい、正妻蝶子との間には、当時三歳だった姉の貴紗蘭(きさら)がおりました。 明治三十一年に祖父がお亡くなりになって、襲爵した盛輝が花司家の戸主となり、同年二十歳で蝶子と結婚しました。蝶子は、欧羅巴諸国の公使を歴任し元老院議官も勤め、大日本鉄道会社の発起人でもあった南条久弥伯爵の直系の孫であり、父は南条光太郎、母は郷原国明伯爵の長女という名門でした。 祖父輝政と南条伯爵が戊辰戦争時の戦友であったことから、盛輝と蝶子の結婚を実らせたばかりでなく、財産運用に関しては無知であった祖父が、早い時期から華族銀行や大日本鉄道会社の株主となり、海運や鉱山など多角的な投資をして莫大な受益を得、借財を抱え困窮していた花司家を潤し豊かにしたのも、南条家の尻馬に乗ったからに過ぎないのです。 白金台へはもう行かれましたでしょうか。あそこは、江戸時代から拝領してきた下屋敷跡地などではなく、経済的な苦境を乗り切れず没落した華族が手放した土地を、花司家が購入したものだったのです。 欧羅巴戦争の軍需景気で台頭した鉄成金や船成金のように私利を追い求めた結果、花司家に媚びる者も増え、一方では敵も増やし、同時に父盛輝を冷徹無比で傲慢な人間に変えていきました。それが花司家を崩壊させる因であったと結論付けても、決して言い過ぎではないと思います。 わたくしを聖珠(まさみ)と名付けたのは盛輝でした。 名前だけではおわかりにならないかもしれませんが、実はわたくしは、かつて、男子として生を授かったのです。 この事実を和真さんに申し上げなければならない心苦しさ・・・これほどの苦しみを、わたくしは今まで一度たりとも味わったことがございません。 己の宿業の根の深さを、これほどまでに怨めしいと思ったこともございません。 あなたはきっとわたくしを軽蔑され、失望と幻滅が入り混じった激昂に、眼も眩むばかりでありましょうか・・・。 低俗な興味対象として、世間の衆目に晒される宿命を背負った華族でなければ、わたくしが蹂躙され邪見に扱われ、居場所を奪われることもなかったでありましょう。 でも、花司家の庶子であったばかりに、物心付いた頃から一族の恥と見做され、ある時は幽閉され、わたくしの存在を永久に封じ込めようとする、無慈悲で残虐非道な一族の奴隷となって、生きていくしか道は残されていなかったのです。 生まれて初めて花司家の恐ろしい内情を垣間見たような気がしましたのは、わたくしが七歳の頃でございました。つまり、何処か尋常ではない雰囲気と申しましょうか・・・。 花司家がわたくしを奇異な子供だと称して虐待し始めたのが八歳の頃でしたので、当時はまだ、子供心に不思議に感じていただけでした。 それは正妻蝶子の身に起こった悲劇のことなのです。 蝶子は、わたくしの記憶する限りでは、良人に従順な、家庭に深く押し込まれることを苦としない、旧来の慣習を重んずるような人で、背が高く、体は豊饒で、温厚な人柄が滲み出ていた柔和な顔立ちが少々目を引いただけの、社交上の才能に欠けた影の薄い女性でした。 そしてわたくしが七歳だった冬のある日のこと、蝶子が突然、家から姿を消してしまいました。 父に伺おうとしましても、尋ねてはいけないような雰囲気と申しましょうか、家の隅々にまで侵食していた不穏な空気を、子供ながらに察知していたように思うのです。使用人たちにこっそり尋ねても、恐らく口止めされていたのでしょう、誰も答えてはくれませんでした。 実母の芳枝にも尋ねました。芳枝は、貧しい平民の出でなければ、男性たちの注意と愛情を惹く社交界の花形と成り得たかもしれないほどの美しい女性でした。 わたくしは芳枝を母と呼んではいけないと教わっておりましたので、 「お芳さん、お母様はどうなすったの?」 と尋ねました。すると芳枝は、 「奥様はお体を患われて病院にいらっしゃるのです。誰にも言ってはなりませんよ」 と言うのでした。 芳枝は、生みの親でありながら、我が子として接することが許されない華族の鉄則に、我が身に鞭打つかの如く徹しておりましたが、わたくしを見つめる目には、いつも愛惜の情が宿っておりました。 そしてわたくしの疑問には、どんな些細なことでも内密に教えてくれたのですが、この時ばかりは事情が違っていたようです。 それから何事もなく、二週間ばかり経ったある夜のこと、わたくし共家族は、白金台の自邸の、一階の食堂で、夕食の席に着いておりました。 天井の五灯のシャンデリアが煌々と室内を照らしている食堂の壁一面には金唐紙が張られ、大卓子や皮張の椅子、サイドテーブルや配膳棚は、盛輝が英吉利で購入した十九世紀末製で、炉棚は伊太利亜の黒大理石、扉には植物をモチーフにした渦巻き流れる形態の、仏蘭西風アール・ヌーボーを施し、衝立には桃色の繻子地に百合の刺繍、台座と柱が日本風の花台には薔薇の盛花という、和洋を寄せ集めただけの、一切調和しない、破綻した装飾が、玄関、応接室、客間、和室、撞球室、螺旋階段などにも散見し、子供の頃から違和感を覚えて全く馴染めませんでした。 特に食堂は、壁に張られた、灰緑色の地に金の花模様が浮き出している派手な金唐紙が眩しくて落ち着かず、いつも居心地の悪さを感じていたものです。 そんな心持のまま食事を摂っていた時のことでした。 不意に扉が開いたかと思いますと、蝶子が突然、食堂に姿を現しました。豊満だった肉体は骨張ってげっそりとやつれ、左目には黒い眼帯をしておりました。 既に食卓に着いていた姉の貴紗蘭とわたくしと、一歳年下の妹摩耶の三人は、一様にはっと息を呑み、フォークとナイフを動かしていた手をピタリと止め、目を見張ってしまったのです。 ただ一人、盛輝だけが、仏蘭西料理を、黙々と口にしていたかと思いますと、顎をしゃくって、椅子に座れと、無言の内に蝶子に指図をするのでした。 呆気に取られたまま注視していますと、蝶子はわたくしたちには一切目もくれず、二枚重ねの引き裾をなびかせて席に近付き、指輪を煌めかせながら椅子の縁に手を掛けると、感情が読めない、凍ったような無表情のまま、ゆっくりと腰を下ろしました。そしてフォークとナイフを手にして、一言も言葉を発しないまま、味わって食べるような素振りもなく、ただ機械的に、目の前に出された食事を口に運ぶだけなのです。 薄気味の悪い静けさに包まれて、食堂を行き来する給仕も足音を忍ばせていましたが、わたくしはすっかり食欲が失せてしまい、体を強張らせたまま、何も口にすることが出来ませんでした。 すると、盛輝が、もう上に行きなさいと言うので、貴紗蘭とわたくしは、逃げるように二階の寝室へ駆けて行き、摩耶だけが蝶子の隣に座ったままでおりました。 「お姉様。お母様はどうなすったのですか?」 わたくしはすぐに貴紗蘭に尋ねました。 貴紗蘭は、誰にも言わないでねと、小さな唇に人差し指を押し当て、内心の密やかな慄(おのの)きを映した、悲しげな表情でこう仰ったのです。 「二週間前の夜中に、向かい側の寝室から、お父様とお母様が言い争う声を聞いて、私、目を覚ましたの。そうしたら今度は悲鳴が聞こえてきて・・・廊下に出て、恐る恐る部屋を覗いたら、お父様が・・・刃物でお母様の左目を・・・」 言葉を切って嗚咽を漏らし始めた貴紗蘭は、顔を覆い隠して泣き出してしまいました。 背筋の凍るようなおぞましい光景を目の当たりにして、激しいショックに打ちのめされた貴紗蘭は、二週間もの間、決して消えることのない心の傷を誰にも打ち明けられないまま、一人苦しみ抜いておられたのです。 お下げに幅広の純白のリボンを付けた、可憐で愛らしい、たおやかなお姉様が、哀慕を顔に滲ませて、泣き崩れる姿の何と美しかったことでしょう。 神話に謳われる聖女のように、御伽噺に伝わる姫君のように清楚だったお姉様。 瞳は黒玉の宝珠のように透き、白皙の肌に美しく映える黒髪が漆のように艶やかだったお姉様。 長女として、家の体面を重んじる両親によって、名誉や道徳という名の檻に閉じ込められながらも、忍辱(にんにく)の衣を纏(まと)って耐え忍んだお姉様。 実母である芳枝と同様に、いつも優しく接してくれたお姉様。 後年、わたくしが花司家から鉄槌を下された時、一族の掟に縛られ、しばしば他人行儀に振舞われたこともありましたが、それは仕方のないことなのだと、寧ろ姉には同情すら覚えたものです。 当時から盛輝は、新橋芸者を相敵に、時には遊郭にも入り浸っては家を空けることが多く、それに不満を抱いていた蝶子は、娘たちが寝静まったところを見計らって度々抗議していました。 そして、とうとうあの夜、深酒して直情径行の気質に益々拍車を掛けたのでしょう、帰宅するなり、蝶子と口論した末、凶行に及んだのです。 秘密裏に処理をして、しかし近い人たちの間では公然の秘密だったこの事件は、花司家に大きな影を落としたのでした。 それ以来、二度と修復することの出来ない、あまりにも深い溝が、盛輝と蝶子の間に生じて、家族を真っ二つに引き裂いていくのです。 盛輝は、蝶子と距離を置き、日に日に言葉も交わさなくなってくると、代わりに貴紗蘭を傍らに頻繁に呼び付けるようになり、味方に引き込んでいきました。精神的拠り所を娘に求めたわけではなく、蝶子を権勢する道具として扱ったに過ぎないと、薄々気付いておりましたが、お姉様もきっと同じことを感じていたに違いありません。 一方で蝶子は摩耶を溺愛しました。元々、摩耶は蝶子に懐いて離れない子供でしたから、その傾向が一段と強くなり、繊細で従順な貴紗蘭の弱さにつけ込む陰湿な性格の増長を招いただけでなく、わたくしが庶子であることに慢心の虫を疼かせ、軽蔑し、敵意を剥き出しにしていくようになるのです。それは実母の芳枝にも及びました。 でも、わたくしが庶子であるだけならまだしも、そっと胸の内に仕舞い込んでいたある秘密が、誰の目にも明らかになっていくに従い、より深刻な事態を迎えることになってしまったのです。
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