地 獄 の 接 吻 (53) 堰を切ったように降り始めた雨に、持っていた鞄を傘代わりに頭上に掲げ表通りに出た僕は、停留場で市電が来るのを待った。 そのまま目黒停車場まで戻って、省線で上野へ行き、帝国図書館で四年前の新聞を、片っ端から調べてみようと思ったのである。 逆方向の馬場先門行の市電に乗車して日比谷まで乗り換えなしで行き、日比谷図書館を訪れる方が断然早かったのだが、過去に仏蘭西のある美術書を探していた際、日比谷では見当たらず、帝国図書館のみに蔵書があったことを思い出して、同じような無駄足になることを恐れたのであった。 やがて市電がやって来ると、帽子や外套に付着した水滴を軽くはたいて乗車したが、衣服はすっかり水分を含んで、座席に座ることも躊躇(ためら)われるほどずぶ濡れになっていた。 目黒停車場に到着すると、省線に乗り換え、やがて来た時と同じ経路で上野を下車したのは、ちょうど午後を回った頃であった。 停車場を出ると、小雨になった中を早足で上野公園に入り、緩やかな坂を、ネオ・ルネッサンス調の、白煉瓦の三階建の図書館に向かって上っていった。 入場券売場の窓口で特別求観券を購入し、入館番号札を受け取った後、階段を使って地下一階へ降り、下足番から上履を預かって、玄関で求覧券を閲覧証用紙に引き換えた。 そして大階段を三階まで上り目録室に入ると、目に付く限りの四年前の主要な新聞を閲覧証用紙に記入して、暗い書庫の横で机を前に座している、薄茶色の事務服を着た、司書係の白髪の老人にそれを差し出した。 「これを全部?」 司書は小さな目を丸くして、用紙と僕の顔を交互に見やると、水を打ったように静まり返っている館内に響き渡るような驚きの声を上げた。 「そうです」 「そうは言ってもね、こんなに多くては綴じ込みを抱えきれんよ」 「少しずつでもいいのでお願いします」 すると司書は、長椅子に座って閲覧を待っている、大勢の無口な男女に向かって顎をしゃくって見せた。 「あの通りだからね。今日中に全部閲覧出来るかどうかわからないよ。探している記事でも?」 「花司男爵家に関する、四年前の記事を探しているのです」 伝えてもわからないであろうとの半信半疑のつもりで言ったのが、司書は遠くを見るような目つきになって、 「ははあ、あったねえ」 と目尻の皺を更に深めては感慨深げに呟いたのである。 「知っているのですか?」 「うん、勿論だよ。上流階級の事件は、一般庶民にとっては恰好のネタだからねえ。あれは四年前の、ちょうど震災の直前じゃなかったかな。探して来るからそこで待ってなさい」 そう言うと、司書は暗い書庫の奥へと入って行った。僕は長椅子の隙間に腰を下ろして、窓外を眺めながら、司書が戻って来るのを待つことにした。 上野停車場を出た頃は小降りになっていたが、再び雨脚は強くなり、風が縦長の大きな窓を叩き付け、同時に僕の憔悴し切った心にも容赦なく吹き付けてくるかのようであった。 思いも寄らぬ事実の連続に、麗華に対する疑念が確実に沸き起こっていることも事実であったが、一方で、何かの間違いであって欲しいとする一抹の望みを抱いていることもまた事実だった。 しかし、戸惑いと希望が交錯する複雑極まりない思いが、どちらかに傾くまでやり遂げねばならない。決して避けては通れぬ道であった。 司書係の老人が新聞の綴じ込みを抱えて書庫から出てきたのは、それから二十分程経った頃であろうか。 「そこの人、見つけたよ」 我に返った僕は、椅子から立ち上がると一目散に駆け寄った。 「ほら、これが探してる記事じゃないかな」 司書が埃っぽい新聞を机の上に広げて見せたのは、四年前の大正十二年八月九日付の東京日電新聞であった。 「他の主だった新聞の社会面にも、写真入で掲載されてるみたいだね。続報もあるから自分で探してみるといい。とりあえずこの後の数週間分の新聞も出しておくから、少しずつ運んで二階の特別閲覧室で御覧なさい」 僕は司書に礼を言うと、古新聞を両手で抱え二階に降り、薄暗い廊下を歩いて突き当たりにある特別閲覧室へと入った。 柱のない広々とした室内には多くの人が、高い天井からぶら下がっているランプの下、左右六列に配置された一枚板の長卓子を前に座り、雑誌や新聞を広げ食い入る様に黙読している。 一番手前の長卓子に空いている席を見つけた僕は、そこに腰掛けて、早速東京日電新聞の大正十二年八月九日付の社会面を広げると、花司貴紗蘭(きさら)という、花司男爵家の長女が自殺したことを、大々的に報じている記事を見つけたのである。 「男爵家令嬢の悲劇」との見出しで始まる記事にはこう書かれていた。 「去る八月八日午後十二時三十分頃、品川駅省線山手線ホームに電車が入りたる処を、年若き女飛び込まんとするが、駅夫が寸前で制止せる。しかし帯に忍ばせし短刀にて咽喉部を突きて打倒れたり。直様市立品川病院に運び込まれたるが気管を切断し絶息し居たり。尚、女の手提げ袋には遺書一通あり。右につき本社は各方面に向かって精探せし結果、女は芝区白金台一丁目六十番地男爵花司盛輝氏の長女貴紗蘭(二十二)なることを突止めたり」 記事は花司貴紗蘭の写真入で伝えていた。 上げ巻に気品ある面立ちは清楚な雰囲気をありありと感じさせたものの、世間に晒され続けながら華族の家庭に根を張る旧道徳の鉄鎖に繋がれ、汲々としてきた積年の疲弊が顔に刻み込まれており、内向的で神経質そうな資質さえ窺わせた。 その後の数日間分の記事を拾い集めてみると、花司家は秘密裏に事を運ぼうとしたようであったが、記者たちは何処から嗅ぎ付けたのか、十日付の新聞には貴紗蘭がしたためた遺書の内容が要約されており、不当な婚約により絶望の淵に追いやられた憤懣(ふんまん)の叫びと、真実の愛を分かち合いながらも結ばれぬことへの葛藤を赤裸々に綴っていると報じている。婚約相手は子爵次男で、その一方で穢れなき純粋な愛情を貫いていた男は平民であったとしている。 十一日付の新聞には青山斎場での葬儀の様子が伝えられ、十二日付の記事には、宮内省の宗秩寮(そうちつりょう)審議会が、花司盛輝男爵を処罰するには当たらないとの決定を下しているが、世間では、花司男爵への非難が強まり、道徳的に裁こうとする風潮が高まって、同紙記者が花司邸へ押し掛け、隠居の意思を表明せよと責め立てる様子までもが克明に伝えられているのは、男爵が以前より華族の体面を汚辱するような不祥事を度々起こしていたことに起因するようであった。 十五日付の紙面をもって一旦は花司家に関する記事が途絶えるが、同年八月三十一日付の夕刊紙を開いた途端、「花司男爵拳銃自殺」との大きな活字が視界に飛び込んできて目を見張った。 「去る八月三十一日午前三時頃、芝区白金台一丁目六十番地男爵花司盛輝邸内に於いて、使用人が銃声を聞きつけ、一階書斎より漏れたる灯りを見るに及び、扉を叩くも応ずる声なく、已む無く扉を突き破れば、男爵花司盛輝氏が肘掛け椅子に寄り掛かりて右手に小銃を握り締め、側頭部より血を流し既に絶息し居たる処を発見す」 警視庁は自殺であったことは明確であると発表しているが、遺書はなく、自殺をした原因が不明であるために、紙面は根拠なき憶測で占められている。 宮内省や同族間、また多くの識者たちは、貴紗蘭の自殺によって精神的に追い詰められた挙句の自害であろうとし、その見解はほぼ一致している。 しかし、男爵が四十八歳で命を断った次の日には大震災が発生し、それどころの騒ぎではなくなったのであろう、九月一日付の朝刊を最後に続報は一切なされていない。 僕は当時、二科展開催目前で忙殺されていたため、小耳に挟んだ程度の記憶が薄っすらと蘇っただけで、元々関心がなかったということもあろうが、事件のことは何も知らぬまま時を過ごしていたのである。 男爵夫人と二女、そして家職を始め、使用人たちがその後どういう運命を辿ったのかはそれ以上知る由もなかったが、少なくともあの白金台の豪壮な大邸宅からは姿を消し、何処かに身を寄せてひっそりと暮らしているであろうことは想像に難くない。 しかし、僕が最も驚きを隠せなかったのは、この記事によって初めて掲載された花司盛輝男爵の肖像写真を見た時である。 立襟に肩章が付いた爵位服を着用し、髪を後ろに撫で付け、カイザル髭を生やし、凛々しい眼に鼻筋の通った鼻梁、薄い唇、精悍で強固な意志を感じさせるその顔立ちが、麗華に酷似していたからであった。 しかし、長女の貴紗蘭と麗華は似ても似つかぬ容貌であり、記事に挿入されていた男爵夫人と二女の写真と比較しても似通ったところがない。 男爵から麗華の面影を見つけたのは単なる偶然かもしれないという考えが頭をもたげたが、知れば知るほどに、想像だにしない事実が隠されているのではないかとの不確かな断定に突き動かされていったのである。 麗華と花司家には見えない糸で結ばれた何かしらの関係があるのだろうか、もしあるとするならば、その裏面には如何なる秘密、如何なる不思議が存在しているというのであろうか。 そして、僕の身の周りに起きた惨たらしい怪事件の数々と、どんな関連があるというのであろうか。 無造作に広げた古新聞を前に両肘を突いて、髪の毛を掻き毟るように頭を抱えながら模索していたが、一向に答えが見出せず行き詰るだけであった。 やがて鞄からノートとペンを取り出し、花司家親子の自殺を報じた二つの記事を出来るだけ詳細に書き写すと、綴じ込みを抱え三階に戻って返却し、帝国図書館を後にした。 夕陽が西から広がり、灰色の雲と相俟って、上野公園の丘を暗い朱色に染めている。雲が夕陽を反射し、楓や美術学校の建物を赤々と輝かせているのを横目にしながら上野停車場へ引き返した。 そして、省線に乗って東京で下車すると、今夜中に乗車可能な名古屋方面への東海道本線の夜行列車が、三十分後の午後六時にあることを窓口で確認し、切符を購入した後、停車場近くの蕎麦屋で食事を摂った。 やがて出発時刻を迎え列車に乗車した僕は、都会のネオンから洩れる灯りが道標となり夜の街を徘徊する人々を吸い込んでいく窓外の光景が、次第に静かな深更の夜景に移り変わっていくのをぼんやりと眺めていたが、知らず知らずの内に、視界の中で不意に夜景がぼやけ始めると、深い眠りの底へと沈んでいったのだった。
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