◆神田橋

 千代田区大手町から内神田の、日本橋川に架かる橋で、現在の橋は昭和55年に架けられました。
古くは江戸時代以前、震災後は大正14年に竣工し、作中に登場した時期は、ちょうどその約一年後のことでした。

 

写真(左)は、大正時代の神田橋開通記念絵葉書。

「『潮の干潮で上流へ流されていたからです。昨年竣工した神田橋の橋台には流水のためのアーチ形の開口部があるのですが、そこを流れずに引っ掛かっているところを発見されたというのが実情です』」
<第三部(24)より>

 

◆ 真金町・永楽町

 現在も神奈川県横浜市南区にあります。
かつて、この二町には、明治時代に遊郭が開かれ、「永真遊郭」と呼ばれ、周囲は塀に囲まれていたそうです。
大正12年、関東大震災の直後大火となり一時廃止。戦後カフェー街として復興したといいます。

「『悪さをする奴は、必ずと言ってよいほど遊郭に入り浸っているものです。何処の店の帳場にも重罪犯の手配書が貼ってありますからね。横浜の永真遊郭街へ行かれたことは?』
『いえ、ありません』
『あそこは、真金町四十、永楽町三十五の合わせて七十五の貸し座敷がありますが、その中で、人相画を見て知っていると答えたのが永楽町にあったのです。月美楼という張り店ですよ』」
<第三部(27)より>

 

◆豊田村

 当時鎌倉郡豊田村。現在は神奈川県横浜市栄区。
尚、作中に登場する、鎌倉豊田尋常高等小学校は架空です。

「『やはりそうでしたか。秦が校長を務めているのは、豊田村にある鎌倉豊田尋常高等小学校です。児童百四十人教員八人という学校で、秦は二年前に三代目の校長に就任しています』」
<第三部(27)より> 

 

◆福島県信夫郡飯坂町

 福島市飯坂町。
鳴子、秋保と共に奥州3名湯に数えられ、松尾芭蕉が奥の細道の途中に立ち寄ったとも言われる歴史ある温泉地です。
摺上川と、その支流、赤川の流れを中央に、大小さまざまな旅館が軒を並べているのは、今も昔も殆ど変わりません。

大正時代の飯坂温泉(写真左)。

「それは二日前の十二月十三日の新聞だったが、十二月十二日金曜日の午後六時頃、福島県信夫郡飯坂町の温泉旅館『若葉荘』で、食事を運ぶために男性客の部屋を訪れた仲居が、胸を数箇所刺されて死んでいる男性を発見し飯坂警察署に通報したとの記事が載っていた。」
<第三部(29)より>


 

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