地 獄 の 接 吻 (29) すると藤城は、鞄からおもむろに新聞紙を取り出すと、それをテーブルの上に広げ、「雪中温泉宿殺人事件」との見出しの付いた記事を指し示したのである。 それは二日前の十二月十三日の新聞だったが、十二月十二日金曜日の午後六時頃、福島県信夫郡飯坂町の温泉旅館「若葉荘」で、食事を運ぶために男性客の部屋を訪れた仲居が、胸を数箇所刺されて死んでいる男性を発見し飯坂警察署に通報したとの記事が載っていた。 東京府荏原郡品川の畠中努と記帳していた男性客は四十歳から五十歳と見られ、十二月九日火曜日午後四時頃一人で投宿した、とある。 「これが秦のようです」 と藤城は言った。そして、 「秦からその後連絡がないかどうか状況を伺おうと、今日の十時ごろ妻君に電話をしたんですが、留守を預かっているという女中が電話に出ましてね、妻君は朝九時三十分頃家を出たと言うのです。女中曰く、今朝飯坂警察署から電話が入り、この旅館で殺されていた男性が夫君ではないか、至急確認してもらいたい、ということだったそうです。遺留品が見つからず、また記帳されていた住所と名前がのちに架空だったということがわかり、郡内を中心に行方不明者との照合を進めていたところ、秦が浮上したとのことで、殺された男の容姿から服装に至る詳細を聞いた妻君が、これは良人に違いないと大慌てで家を飛び出して行ったそうです。恐らく今日の夕刊紙に記事が掲載されるかもしれません」 「きっと共犯者が殺したんだ」 誰に言うともなくぽつりと口にした僕は、再び背もたれに寄り掛かって深い溜息を吐いた。 考えも及ばなかった最悪の結末を迎えてしまったことは僕を失望させるに充分であったが、それ以上に、警察が僕の訴えを悉く退いてきたことに対する不信感と苛立ちが募ってきていることの方が大きかった。しかし、事件解決の糸口となる唯一の人間であったはずの秦が殺された今となっては、いくら悔やんでも悔やみきれず、ただ観念に振り回され悶々とするばかりである。 「ますます大事になってきたな・・・。しかし、これで警察も少しは関心を示してくれるんじゃないか」 僕の胸中を察してか、江口氏がこう言った。 「僕の想像に過ぎませんが・・・恐らく秦の身辺が騒々しくなってきたことに対して危機感を持った共犯者が殺したに違いありませんよ。藤城さん、現地へは行かれるのですか?」 「調査員を一人行かせました。飯坂町で妻君と落ち合えるようにします」 「私は向こうの新聞社にも渡りを付けておくが・・・森下君、くれぐれも気をつけてくれ。自身の身を案じてくれよ」 「僕を殺す気ならとっくに殺していたと思いますよ・・・逆に目の前に姿を現して欲しいものです」 そしてその日の夕刊紙に、予期していた通りの記事が載った。 雪中温泉宿殺人の被害者は校長、との見出しで始まる記事で、十二月九日火曜日の午後四時頃、「若葉荘」に畠中努なる偽名を用いて一人で投宿した被害者は、のちの調べで神奈川県鎌倉郡豊田村在住の鎌倉豊田尋常高等小学校校長秦信一氏四十八歳であることが判明した、とあり、また震災により倒壊した校舎復興のため集めた資金を私的流用し、懲戒免職の処分を下されたが直前に失踪、警察ではその件との関連について調べを進めている、とあったのである。 戻る 30へ |
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