地 獄 の 接 吻 (9)

 

 結局僕と須美子は二年以上三島に留まることになった。
その間、「籐椅子の女」を始めとした絵画は二階の画室で静かに時が来るのを待ち続け、それと共に僕たちの関係も更に深まっていったというわけである。
 須美子は芝居を観るのが好きで、二人で何度も六反田の芝居小屋へ足を運んだものだが、大正十四年十二月のある日、六反田の歌舞伎座で芝居を観たその帰り道、僕は彼女に東京で一緒に暮らそうと言った。
染物屋一色である川筋に住む町の人たちの間では、僕と須美子がいずれ結婚するであろうとの噂が早くから流れ実を伴わずにいたのだが、東京が震災からほぼ立ち直りつつあることを新聞で知って切り出したのである。
相手が幼馴染の須美子でなければ恋愛結婚という受け入れ難い思想に難色を示したであろう保守的な父が、家族同然であった町民の善意に後押しされるようなかたちで早くから取り決めてくれたのだった。
 僕と須美子の両親は、画家稼業だけでは生活が成り立たないことをよく知っていたので、東京で必ず仕事を見つけるようにとの条件を強く言い渡してきたが、須美子はこっそりと、
「和真さんは画業に専念なさって下さい。松坂屋から連絡を頂いて、開店したばかりの銀座店に再雇用して下さるとのことですから、お金のことは心配なさらないで」
と言ってくれたのだが、この時ほど心苦しかったことはなかった。
 また、かつて僕がアトリエにしていた家の家主へ手紙を送った際に、同じ場所に貸家を建てたから住まないかという返事があったので、そこが二人の新居ということに決まり、江口氏からは、東京に来たら伺う旨の手紙をもらった。
 そして、大正十五年一月、僕と須美子は実家で結婚式を挙げ、数週間後には二度と戻ることのなかった故郷を去り、東京へ、いや、奇禍(きか)の奈落の底へ叩き落されようとしていたのだった。

 

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