地 獄 の 接 吻 (4) 僕は水中に潜って、青年のか細い腕を掴み、背中に回り込むと両脇に腕を差し入れて、抱え上げるようにしながら舟まで泳ぎ着いた。その時点で彼は息をしておらず、水浸しで蒼白な顔を何度も叩いては、必死に蘇生させようと試みるも無駄であった。 ぼんやりと傍観しているだけの舟上の男たちを退けるようにしながら強引に川から上がり、ぐったりしている青年を引き上げ横たえさせた。指で顎先を持ち上げ気道を確保すると、鼻をつまみ、口を大きく開けて彼の唇を覆い、空気が漏れないよう胸が軽く膨らむ程度に、息をゆっくり吹き込んだ。 郷里で学生の頃に習ったきりの人工呼吸法はうる憶えで心許なく、息を吹き込みその都度耳を近づけ呼吸をしているかどうか確めることで精一杯であった。 それを三度繰り返した時だったろうか。青年の唇を覆って息を吹き込みかけた時、突然彼が目を覚ましたのである。 僕はそのことに気付かず人工呼吸を続けていたが、背後で棒立ちになっていた男が、 「生き返ったぞ」 と呟いたのを聞き、我に返って唇を離したのだ。 青年は仰向けのまま、純然たる自然現象ではありえない強風によって巻き上げられた灰で覆い尽くされた空をぼんやり見ていたかと思うと、僕に視線を移して瑞々しさに満ち溢れた純朴そうな細面の顔を綻ばせた。 そして彼は、柔らかくて冷たい白い手を伸ばしてきてこちらの手を握り締めた瞬間、僕の視線を捉えて離さなかった長い睫毛の下の瞳が徐々に潤い始めたのである。 「ありがとうございます・・・何と御礼を申し上げれば・・・」 か細い声はうわずり今にも消え入りそうだった。 しかし、透き通った濃い茶色の瞳は清冽(せいれつ)で、その深淵には揺らめくような絡みつくような艶かしさが宿っているのを感じた。漠然とではあったが何かが渦巻いていたと言っていい。妙に心に引っ掛かっていたことは確かだが、それはこの場限りのことで、特に記憶に留めようとする必要はないはずであった。それでもこうしてはっきり思い出されるということは、それだけ鮮烈であったことの裏付けであろうか。 ずぶ濡れの漆黒の髪に縁取られた端正な面差し、大きな瞳にすっきりと通った鼻梁、薄い唇、水を含んだ着物がはり付いていた身体は痩せていて小柄だった。 僕たちはしばらく無言のままだったが、不安からだろうか、青年はずっと僕の手を握り締めたままだった。 その時、ちょうど舟がゆっくりと岸に近づいて行くのがわかった。対岸の本所方面では、影絵のように、明るい真っ赤な火炎を背景に倒れる人影さえ見えたほどだったが、辿り着いた岸は既に鎮火していた。 岸を上がってみれば、舟に乗っていた人、舟にへばり付いていた人が合わせて二十人ほどもいたはずであったのに、僅か六人程度になっていたのである。 青年を抱え込んでやるようにしながら舟を降り、適当な場所を見つけ座らせた後、僕は彼にさよならを言ったが、青年は後を追いかけようとしたのか、おもむろに立ち上がると、 「待って下さい・・・」 と哀願した。 しかし僕はこれを制止したのである。 「申し訳ないがここまでだ。僕を頼りにしてもらっては困る。自分の力で何とかするんだよ。僕に言えるのはそれだけだ」 そう言うと、入り乱れた群集に混じって、まだ何か言い続けていた彼をその場に残して去ったのであった。 戻る 5へ |
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