地 獄 の 接 吻 (3) 僕は先生諸氏と別れた後、江口氏を訪ねるため市電に乗り、喜び勇んで谷中へと向かったのである。 ほどなくして停車場に着き、午後十二時になろうかという時分、正確には午前十一時五十八分のこと、貸家建ての家屋が数十軒並んでいた細い道を、彼方の櫟(くぬぎ)の並木に何気なく目をやりながら歩いていた時、突然地面の底から突き上げるような物凄い地響きが起こって体ごと跳ね上げられたのである。 あまりの衝撃のために何が起きたのかわからずただ驚くばかりであったが、異様な空鳴り地鳴りに、軒並み揺れる家屋からは一斉に人が飛び出し、電信柱が樹木のように傾げ、電線が柔らかいゴムのようにあっちこっちに揺れているのを見て、初めて地震だと知った。 音を立てて崩れ落ちる石垣に誰かの悲鳴が重なり、朦々たる砂埃に視界が遮られ、瓦が地面に落ちてくる音が聞こえたのと同時に、飛び散った破片が僕の背中に直撃した。 痛がる間もなく、無我夢中でその場から走って逃れたが、空は砂埃と黄塵のせいで太陽が遮えぎられ、その下では異様な光景が地獄絵巻のように繰り広げられていたのである。 割れた地面に足を取られては転びながら、轟々という地響きに追い立てられるように、避難出来る場所を探し求めて走り回った。焼け焦げたような異臭が辺りに立ち込めたかと思うと、黒煙が朦々と僕を取り囲んで、右も左もわからなくなってしまった。 どれほどの時間が経過したのか見当も付かぬまま、右往左往している内に煙が晴れると、人家という人家は粉微塵になり、黒焦げになった死体がゴロゴロ転がっていた。遠方ではまだ猛火に包まれている建物が見えた。まさに大焦熱の苦患である。 すると何処からともなく、「谷中墓地に逃げよう」という男の声があったのを耳にした。これは後で知ったことだが、僕はその時上野桜木町にいて、つまり谷中墓地は裏手に接していたわけである。 声の主だった唐草模様の風呂敷を背負った男と、赤子を抱えて裾も露わな妻らしき女の三人とで、谷中墓地まで向かったのだが、そこは避難民でごった返して立錐の余地もなく、しかも空を焦がす紅蓮の炎や黒煙や砂塵やらで昼だか夜だかわからぬ有り様で、不安は募るばかりであった。 そこへきて、無差別の殺戮が始まっただの強盗が横行しているだのという流言飛語が飛び交い、より一層混乱した。 家財道具を荷車に乗せ、背に負い、あるいは両手一杯に持って避難した者たちが、後から後から墓地にやって来ては、方々で罵り合い殴り合う光景が展開され、さながら阿鼻叫喚の地獄のようであった。 そんな光景に目をやり耳を澄ませながら、熱さでうつらうつらと夢見心地になっていたのだが、ふとアトリエのことが頭をよぎった。 カンバスやら絵の具やらで充満していた四畳半の部屋は、跡形もなく粉塵となっているに違いないと諦め消沈したが、そうなると益々被災者たちの憔悴しきった顔と苦悶に満ちた声の真っ只中に留まっていることが苦痛で仕方なくなり、折からの強風に煽られるかのように墓地を出た僕は、当て所もなく歩き回ったのである。 ところが、谷中を出て上野から浅草へと向かうほど、凄惨たる有り様はますます酷くなるばかりだった。 それもそのはず、この時は知る由もなかったが、西南の風は隅田川の上空を通路のように吹き抜け続けていたために、その両岸一帯は猛烈な火勢にさらされていたのである。 激しい旋風に歩を進めることもままならず、逃げ惑う人々の後を追うようにして吾妻橋へと流されたが、深川方面からの避難民たちと橋上でぶつかってもみ合いになるという混乱に、いつしか僕も巻き込まれていたのである。 すると、一尺はあろうかという大きな火の粉が方々から飛んできては落下し、そのひとつが、僕の傍らにいた、深川から来たと思われる男の風呂敷包みに当たり瞬く間に燃え広がった。整理誘導に当たっていた警察官が、それに気付いて荷物を捨てさせようとしたばかりか、火の点いていない荷物までも捨てさせようとしたので、男は激昂し殴りかかった。そうこうする内に火の粉は次々と橋上に降りかかり、あちこちから火の手が上がって大騒乱となったのである。 危険を察知した僕は、川の方が安全と思い付き、かなりの人でひしめいていた隅田川に飛び込んだ。 川の中央まで泳ぎついて、舟で避難していた人々の間に割り込むことが出来たのだが、本所方面からの火勢が猛烈になり、烈風のような火の風は水の中にいても耐え難いほどで、舟のヘリに掴まりながら熱湯のような水に長時間浸かる覚悟でいた。 二間四方もあるようなトタン板や瓦などが飛んできて、それが頭に当たってあっという間に舟から手を離して流された人も数知れず、それでも無事だった僕は運が良かったとしか言いようがない。 銀座のカフェープランタンにいたのは数時間前か数日前なのかもはやわからなくなっていたが、緊張の余り何も咽喉を通らなかったことが急に思い出されて空腹感を覚えた。 また、朦朧としていた意識の中で、新橋へ行かれた不知火先生は果たしてご無事であろうかと心配にもなったが、先生が焼死したという訃報は、それから六日後に知らされたのである。 舟に掴まりながら、熱くなれば頭ごと水に潜ったりを繰り返しながら火勢が衰えるのを待っている時、隣にいた二十歳前後の青年が、疲労のためであったろうか、着物の袖から見えるほっそりとした白い腕を力なくヘリから離し、水中に沈んでしまったのを見た。 何という運命であろうか。 今にして思えば、無慈悲と言われようと何だろうと、黙視するに忍びないと思った感情を押し殺し、そのまま放って置けば良かったとさえ思うのである。 なぜなら、全てはここから始まったからだ。 この時は勿論のこと、麗華の遺書を見るまで僕は知りもしなかったのだが、あの青年を助けてしまったことが、僕の人生を大きく狂わせたのである。 戻る 4へ |
著作権について
本ウェブサイト内のコンテンツの著作権は、作者個人が保有します。 許可なく複製、転用などの二次利用を禁じます。
Copyright (C) 2007 Seiren Takeshi. All Rights Reserved.