地 獄 の 接 吻

 

親愛なる大場君へ

 これまで、奇妙とも不思議ともとれる数々の怪事件が僕の身に降りかかってきたことは、君もよく知っていよう。
半年前に、北豊島郡長崎町のアトリエ村にある君の家を訪れた際、それまでの経緯を、掻い摘んで話したことは記憶に新しいが、あの時は何一つわからぬままで、運命の悪戯に弄ばれているとしか言いようのない不快さに身もよじれんばかりであった。
 ところが、あの裸婦画を完成させて間もなくのこと、想像だにしなかった身の毛もよだつ様な戦慄すべき事件の全てのからくりが、白日の下に晒されたのである。恐らくは、僕がこれから書き記す数々の複雑怪奇なる出来事を信じてくれるのは、君をおいて他にいないことは容易に推測出来るくらいである。
 親愛なる大場君。
僕が志を抱き静岡県田方郡より上京し、大正六年に日本美術学校の西洋画科を卒業して、不知火先生に師事したのち、「三人の婦人」で初入選した第八回二科展において、君も「闇」で入選したことは、奇妙な巡り合わせだったと思わずにいられない。
紫と淡紅とが交じり合って変幻しながら流転しているかと見える背景から、白と黄色に燃えている光を、カンバスから煌々と眩いばかりに浮き上がらせるような斬新な技法で描いた「闇」が、偶然にもその後の僕の抑圧されていた内的感情と見事に一致していたように思えてならないし、同時に君という画家の存在をより身近に感じずにはおかないのである。
いずれにせよあの年の二科展がきっかけで、君とこうして無二の親友となり得たことは喜ばしいことであった。
まさしく僕はあの「闇」のように、一刻の休息もなく変幻しながら襲いかかってくる不可解な出来事の連続に、なす術もなく、ひたすら光明を求め、もがき続けているしかなかったのである。
 しかし、全てが氷解し明るみになった今、こうして筆を取りこの手紙を書き、皮相的な事実は知っているが一握りの真実も知らない君に何もかも伝えようと思うのは、ただ一人の、信頼するに足る友人であるからに他ならない。但し、これから書き記す手紙とほぼ同じ内容のものをもう一通したため、山崎刑事に差し出すつもりでいる。
 大場君。僕の家に転がり込んで久しかったあの女、艶やかで肉感的な色香を湛えながら、時に花の蕾のように乙女の如きうら若い可憐な魅力を併せ持ったあの麗華が、昨日死んだのである。
それだけではない。その死によって、異様な出来事の裏面に脈動していた穢れた真実が明るみになったと言ったら君は信じるだろうか。
想像を絶することであろうと思うが、僕とて思いもよらなかったことである。
手紙の最後に、麗華の遺書をそのまま書き写したものがあるから、それにもぜひ目を通してもらいたい。実物は山崎刑事に差し出すことにする。
 さて、僕に残された時間は限りなく少ない。これから徹宵(てっしょう)して少しも書き洩らさないために、日記を抜粋しながら、これまでに起こった全ての怪事件を、ありのままに書き記していこうと思う。
謎だらけであった事件の裏に隠されていた真実が、麗華の遺書によって裏付けされていることが、最後にはっきりとわかるはずだ。

 

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