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化 身(2)

 

 その頃、江戸の両国に、雁明という名の浮世絵師が住んでいた。ところが雁明は、秀でた才能を持っているわけでもなく、江戸市中にその名声を誇っているわけでもなく、絵師を自称しながら、単なる遊び人に過ぎないという噂が界隈に知れ渡っている程度で、それでも、たまに面白い錦絵を描くとの評判も、その時々に、話題にはなっていた。
  雁明がある日、両国の町を歩いていると、田舎者らしい年配の男と、幼い娘の二人が、人目を避けるようにして歩いているのを目撃した。
二人が恐る恐る周囲に目を配りながら歩いていること、娘の首には手拭が不自然に巻かれ、薄汚れた袖に、腕を隠していることなどを見て取り、何やら尋常ではない空気を感じた。
雁明は、好奇心に突き動かされ、気付かれぬように、佐吉とトミのあとを尾け始めると、その後二人は、雁明もその名を知る、名医と謳われている医者の許を訪れた。
半刻もしない内に、二人がそこから打ちひしがれた表情で出てくるのを見て、雁明は迷わず声を掛けた。
「何事かは存じやせんが、たまたまこうしてここでお見掛けしやしたのも、何かの縁でございやしょう。あっしはもっと腕のいい医者を知っておりやすんで、遠慮なく、言ってもらえりゃあ力になりやす」
町人であれば、町奴と変わりない風体の男の腹の内など、容易に見透かすことは出来ただろうが、地方の世間知らずで純粋な佐吉とトミには、雁明の申し出が、ひじょうに有難いものに思えたのである。
そこで佐吉は、藁にもすがる思いで、トミの全身に、びっりしとひしめく鱗のこと、そして、医師からは、これは病気ではなく、かといって手の施しようもないと言われ、治療を断られてしまったと話した。
但し、かつてマタギであった頃の、山神の祟りによって受けた報いであることを口にするのは、はばかれたので伏せておいた。
雁明は、佐吉の話を聞くと、驚きを隠そうともせずトミを見たが、それもほんの僅かのことで、彼はすぐに真摯な態度に立ち返り、症状を医師に話さなければいけないので、鱗を見せてくれと言った。
すると、着物の袖を巻まくり上げたトミの腕には、蛇のような、青光りした鱗が、所狭しと生えていたのである。
また、首に巻いていた手拭を取ると、そこにも、堅そうな細かい鱗がひしめいていた。
雁明は、これは願ってもないものを見たと喜びつつ、表向きは同情の色をあからさまにしては、医師を紹介すると約束した上で別れた。
  ところが雁明はその後、両国の長屋に戻ると、早速絵筆を持ち、「蛇女」という、全身鱗に覆われた女を主題にした錦絵を、まるで熱に冒されたかのように、ものすごい勢いで描き続け、それを僅か数日の間で、完成させたのである。
雁明は、その錦絵を、市中に売り出したのである。
錦絵は大変な評判となったが、検印を受けていなかったため、しばらくすると没収された。しかし、錦絵の蛇女が、江戸に実在し、それが出羽国から来たトミであるということは、すぐに知られてしまった。
当時両国に住んでいた弥五郎という名の興行師も、錦絵に魅せられ、またその噂を聞いた一人であった。
弥五郎は、佐吉とトミが泊まっている宿を探し当てると、二人の許に出向いて、三百両でトミを売ってくれと申し出た。
しかし佐吉は、見世物にするつもりはないと怒って、弥五郎を追い出した。
「ふん。どうせお前が、娘をこんな風にしちまったんだろうよ。因果応報ってやつだ。せいぜい頑張りな、爺さんよ」
弥五郎はこう吐き捨てた後、
「なあ娘さん。この世界じゃあ、誰もあんたを相手にしてくれねえぞ。それをよく考えるこったな」
と言い残して出て行った。
トミは、医師からは見放され、また、腕のいい医師を紹介すると言いながら、結局現れなかった雁明のこと、やがて錦絵によって、江戸中に素性が知れ渡ってしまったこと、そして見世物小屋の興行師までやって来たことを思うと、子供ながらに、自分がいなければ迷惑がかからないとの思いが強くなり、祖父の佐吉をこれ以上苦しめたくはない、と悲嘆に暮れた。
そこでトミは、明日には江戸を出発しようとの佐吉の言葉を聞いて決意し、その夜、佐吉が早い時間に寝静まったのを見て、こっそり、宿を抜け出してしまった。
弥五郎が残していった引札を頼りに、回向院まで辿り着き、そこに立ち並んでいる多くの見世物小屋の中から、丸太と荒縄で骨組みを作り、その周囲に莚(むしろ)を被せてある、間口四十間、奥行十一間という、格別大きな小屋を見つけ出した。
既にその日の興行は終了していたが、その莚の隙間から中を覗いたトミは、そこに、あの弥五郎がいるのを見つけた。
トミが、見世物小屋で働きたいと自ら願い出たことは、三百両を払わずに済むこともあって、弥五郎を一層喜ばせたが、すぐに出し物にしては、佐吉に知れてしまうので、仕方なく、しばらくは隠しておくことにした。
そして思った通り、次の日の早々に、佐吉が弥五郎の見世物小屋にやって来た。
「トミを何処に隠したんじゃ」
激昂する佐吉に対して、弥五郎は、
「何なら小屋中を探して見るといい。だが見つからなかったら、爺さん、ただじゃあ済まさねえから、よく覚えておけよ」
と言い放った。
佐吉はその言葉にひるむことなく、彼らが寝床にしている小屋も含め、辺り一帯を探し回ったが、トミは何処にも見つからなかった。
やがて客がぞろぞろと押し掛け、興行が始まると、口上する、興行主の声が、あちこちから聞こえ始めた。
佐吉は、トミの名を呼びながら、周辺を歩き回るが何処にもいない。
諦めかけたその時、ある小屋に、二尺ほどの身長しかない小人が出番を待っているのを見かけた。
「ここにわしの孫が紛れ込んでいるはずなんじゃ」
佐吉はトミの容姿を伝えると、小人は、
「ああ、あの娘のことなら知ってるぞ。弥五郎の一座のところにいるのを見た」
と言って、一番奥の小屋へ佐吉を連れて行った。
佐吉は小屋の中に入ると、そのまた奥の、古めかしい大きな木箱の中に、丸くなりうずくまって眠っているトミを見つけた。
「お前、こんなところで何しとるんじゃ。あの男に連れて行かれたのか?」
「違うの、お爺さん。私が自分で来たの」
「そんな馬鹿な。脅されているのか?あの男め、訴えてやる」
ところがその時、窮地を悟った弥五郎が、若い衆を引き連れて小屋の入り口にやって来た。
「おい、こいつをつまみ出せ」
佐吉は、四人の屈強な男たちに取り押さえられ、小屋から外へと追い出されると、回向院の、全く人目の付かない場所まで引きずられて行った。
「お爺さんには何もしないで下さい」
トミが弥五郎に泣きついた。
「何もしやしない。爺さんを田舎に連れて帰るだけだ。その方が、お前にとっても良かろう?」
トミは、何より祖父に恥をかかせたくはなかった。苦労させたくはなかった。
見世物小屋にやって来たのもそのためであり、二度と故郷の土を踏むことはないだろうと、決心していたのである。
「本当ですね?お爺さんを帰してくれますね?」
トミは問うた。
弥五郎が、安心させるように何度も頷くのを見て、トミはほっと胸を撫で下ろすのだった。

  それから半年も過ぎる頃になると、トミは蛇女という芸名で、両国を中心に、江戸の至る所で興行する際には登場し、その度に大変な盛況ぶりを見せ、話題を振り撒いていた。
トミは必ず着物を羽織り、朱色の帯を前結びにした格好で舞台に上がり、その後興行主の弥五郎が、客に向かって、「蛇女は、罪滅ぼしをするために、舞台に上がっております。とくと御覧あれ」と口上すると、トミは、着物を肌蹴て、体中を覆っている、青々とした鱗を披露する。
やがてその鱗が、偽物ではないことがわかると、観客は皆一様に震え上がり、中には険悪な侮蔑の眼差しを向ける客もあった。
「ある日、気付いた時には、このような、信じられない体になっていました。さあ、今一度、この蛇女を、よくご覧下さい」
観客は、トミを化け物呼ばわりし、その姿を見ても、憐れむ者は一人としていなかった。
しかしトミはそれでも良かったのである。
見世物小屋は、自分が自分らしくいられる、唯一の場所だと感じていた。何かに怯えながら、日蔭で暮らしていくよりも、こうしてありのままの自分を見せていられる環境の方が、のびのびと生きていける、そう感じ始めていたのである。
 
 それから更に半年が過ぎたある日のこと。
浅草での興行を終えたトミの許に、思わぬ客人があった。
それは、故郷出羽国の、佐吉の仲間だった、狩猟者のマタギであった。
彼は既にマタギを引退していたが、トミの噂を思いもかけず耳にして、江戸見物がてら、半信半疑のまま興行を観に来たのだという。
「やっぱり佐吉んとこのお前さんだったのか。何とまあ可哀相なことだ」
かつては彼も、山の掟を破った佐吉を非難した一人だったが、こうして成長したトミが健気に働いているのを見ると、心を突き動かされるのだった。
「いいえ、いいんです。自分で望んでやっているのですから」
「佐吉は何処で何をしているんじゃ?話がしたい」
それを聞いたトミは、合点のゆかない顔をした。
「お爺さんは、村に戻ったんじゃないんですか?」
「馬鹿な。戻ってはおらん。佐吉は一緒じゃないのか?」
トミはそれを聞くなり、弥五郎の許へ行って、祖父が村に戻っていないことを告げると、その話はいいだろうと言って、適当に濁されてしまった。
「弥五郎さん。本当のことを言って下さい。お爺さんは何処へ行ったのです?」
「知らんと言ったら知らん」
この時初めて、トミは疑念を抱いた。一年前、小屋で対面し、その直後、弥五郎の若い衆が引っ張っていくのを見たのが最後だった。トミはまさかと思い、先程のマタギに、これまでの経緯を全て話すと、急に神妙な面持ちになり、
「佐吉は・・・ひょっとすると・・・」
と言ったまま、口を閉ざしてしまった。
  その後、トミは、改めて弥五郎に詰問した。
「本当のことを言って下さい。でないと、見世物小屋を辞めます」
弥五郎はその言葉を耳にすると、ここでまたうまく誤魔化すしかないと考えた。というのも、興行は日々大盛況であり、主役を失うことは痛手であったからだ。
そこで弥五郎は、実は佐吉は、故郷にはもう戻れないので、越後の国へ行って、また狩猟の仕事をするのだと言い残して旅立ったと言った。
ところが、この話を、トミが宿にいたマタギに聞かせると、
「そんなわけはねえ。引退した佐吉がまた狩りをするなんぞ考えられん。見え透いた嘘もいいとこだ」
と言った。
トミはいよいよ決意を固くして、再三に渡り弥五郎に迫った。
弥五郎はしばらく考えていた。
そしてふと、こう結論するに至った。
最近、奥州二本松にいた大頭の男を買って見世物に出し、人気を呼んでいる。また、美濃からは、両手の指が二本しかない女も買ったばかりだ。
いずれにせよ、先行き、この女がいずともやっていけるだろうし、このままここに置いても、追い出したとしてそのまま生かしておいても、厄介なだけで得なことは何一つない。
「わかった。お前がそこまで言うのなら会わせてやろう。実は居場所を知っているのは俺だけで、爺さんからは、お前には内緒にしてくれと言われている。今夜は無理だが明日、興行が終わった後、必ず会わせてやる。それまで待ってろ」
と言った後、思いついたように、
「ところで、お前。明日は角頭女と剣術をしろ。一度だけ、やったことがあったな。あれをまたお前にやって欲しい。いいな」
と告げたが、その剣術とは、偽物の刀を用いて、作り物の角を頭に付けた女と、剣を交えるというものだった。
  そうして次の日、浅草の興行が始まった。
軽業や動物芸の後の、最後に登場したのがトミだった。
「本日は、皆様に、蛇女と角頭女の剣術をご覧頂きます」
弥五郎が口上した。
「初めに出てきましたる、体に鱗のある女、これが当一座の人気者、蛇女でございます」
着物を羽織ったままだが、首や腕や足には、青々とした鱗が見えている。
満員の観客が、トミに向かって歓声を上げたり、一方で罵声を浴びせる客もいる中、腰に下げた偽物の太刀に手を触れると、やがて彼女の目の前に現れたのは、頭に一本の角を生やした、角頭女であった。
最初に蛇女が太刀を抜くと、続いて角頭女も太刀を引き抜いた。すると、勢いよく振り下ろされた角頭女の太刀が、風を切り、その音はまさに、真剣そのもののようであり、その手応えは、違和感を感じさせ、やがてその刃先が、トミの肩口にざっくりと食い込み、脇腹へと肉を断ち斬った惨状を見るにつけ、初めて驚愕の色を露わにした。
どよめく観客の声を耳にしながら、角頭女は刀を舞台に落として、トミが、おびただしい血を流し、痛々しい苦悶の表情のまま、ばたりと倒れてしまうのを、ただ呆然と眺めているだけであった。
弥五郎は、
「角頭女の見事な剣術でした。次回もご覧あれ」
とさっさと口上して幕を下ろした。
「おい、角頭女!」
弥五郎は、罵声を上げて彼女を呼んだ。
「お前は何処であの太刀を手に入れた」
角頭女は、体が震えてしまって声を出すことも出来なかった。
「お前は、蛇女に嫉妬して、斬り殺したんだな?そうだな?」
弥五郎が怒声を浴びせる。角頭女は泣き出して、何も知りませんとだけ言った。
「お前を懲らしめてやる。おい、お前たち、こいつを捕まえておけ」
手下に声を掛けると、彼女を捕らえて連れ出して行った。
弥五郎は、トミはとっくに死んでいるものと思っていたが、血の海の中で、うつ伏せに倒れたまま、まだ息があった。
すると、トミは、小刻みに震える頭をもたげて、薄笑いを浮かべながら彼女を見下ろす弥五郎の顔を見上げた。
「惜しいのを亡くしたものだ。だがまあいい。お前のことはもう見切った。あの世で爺さんに会って来い」
トミは、真っ赤に充血した目で弥五郎を睨み付けると、うつ伏せのまま、這いつくばって、弥五郎に近付いた。
かと思うと、口を突然大きく開いて、弥五郎の足首目掛けて噛み付いたのである。
その、口を開いた時の、ほんの束の間のことであったが、弥五郎は、トミのそれが、先割れた、蛇の舌のようになっているのを、垣間見たような気がした。
弥五郎は驚いて蹴り上げると、その衝撃で、トミは死んだ。
  宿にいたマタギは、夜訪れると言って、結局やって来なかったトミの安否を心配し、事情を話して弥五郎と面会したが、彼はこう告げた。
「本当のことを言うと、爺さんが何処にいるのか、俺も知らん。それを話すと、トミが一座を抜けて探すんじゃないかと思ったからだ。だが、どうしてもと言われ、本当のことを話すと、トミは爺さんを探すと言って、出て行ってしまった。二度と戻って来ないと言い残してな」
マタギは、その話を鵜呑みにして、結局力になれなかった自分の不甲斐なさを悔い、江戸を去って行った。
  それから数週間が経ったある夜中のことであった。
弥五郎は、顔中に、かつて味わったこともないような激痛をおぼえて目を覚まし、やがてその痛みは、みるみる広がっていくように思われた。
声を上げ、苦しみに耐え切れずに、小屋から這い出ると、手下を呼んだ。
二人の手下がそこにやって来て、弥五郎の顔を見ると、そこには、びっしりと、蛇のような鱗がひしめいていたので、大変驚き、言葉も出なかった。
それはやがて、顔から首筋へ、そして体中を蝕んでいくと、僅かな時間の間に、一寸の隙間もなく、全身が鱗に覆われた。
弥五郎は、痛みに気が狂いそうになりながらも、我を忘れて、無我夢中で堅い鋼鉄のような鱗を、剥がそうと躍起になったが、それは少しも剥がれなかった。
「これはきっと、蛇女の祟りに違いねえ」
若い衆の一人がこう言っている間にも、弥五郎の体は更に異様に変化し始めていた。
彼は地面に前のめりに倒れると、しばらく痙攣したかのように体を小刻みに震わせていたが、やがてその体が、徐々に丸みを帯び始めた。
そして腕が、みしみしと、骨が砕けるような音を立てながら、体にめり込んでいった。
また、両脚の間に少しも隙間がなくなったかと思うと、それは溶け込むように合わさって、一本の脚となり、時間が経つにつれて、それはまるで尻尾のようになった。
若い衆は、その信じ難い光景を目の当たりにして、金縛りにでも遭ったかのように、その場に立ち尽くしたまま、一歩も動くことが出来ずにいた。
その後、弥五郎の全身は、薄い、透明の、皮のような物に包まれた状態になったが、それが突然、頭の部分から破られると、そこから、鎌首をもたげた蛇が現れた。
まるで脱皮を終えたかのようなその蛇は、するすると、重そうな体を引きずりながら、その場に凍り付いていた男たちに近付いていくと、その闇夜に、男たちの悲鳴が響き渡って、寝入っていた見世物たちを、恐怖で凍り付かせたのだった。

  見世物小屋を訪れた一番乗りの客人が、その場の惨状を見て絶叫し、急を知らせに行ったのは、その日の朝のことであった。
血みどろになって死んでいる蛇の、その数え切れない程の亡骸が、見世物小屋の至る所に、びっしりと、ひしめいていたからである。
しかし、全て死んでいたわけではなかった。
舌を出し入れしながら、陰に身を潜めて、獲物を待つ蛇が、その中にたった一匹だけ、紛れ込んでいたのである。