恩讐(おんしゅう)(3)

 

 その夜、雅忠らは信じ難い知らせを受け取り愕然となった。
城太郎が、これまで何度か刀を献上していた是善という名の武士の妻女を脅迫し、強引に衣服を剥ぎ取っているところを、是善が部下を従いやって来て、その場で斬首したというのである。
  雅忠とその女房、また弥六夫婦は、その知らせを受けるとすぐに鎌倉へと向かった。下人たちもそのお供をした。
そしてその騒ぎの後、小袖を着た女が、彼らの後を追うようにして屋敷を出て行ったことは、誰も気付かなかった。
やがて、雅忠は、鎌倉で城太郎の死体と対面した。
  是善の妻女の証言では、以前より何度か城太郎に体を奪われ、それを夫に知られたくなければ今後は言いなりになれ、でなければ命の保障はないと脅迫されていたという。世間の噂を恐れ、夫の命まで脅かされるのではないかと恐れもしたが、思い悩んだ末、辱めに遭ったことを詳らかに是善に話した。
そして城太郎が屋敷を訪れたところを是善が目撃、妻の身の危険を感じ斬首したという。
  結局、雅忠が息子の潔白を訴えようとも、いくら幕府に願い入ろうとも、是善の無罪は変わらなかった。
「城太郎がそんな下劣なことをするはずがない!」
雅忠は何度も幕府に訴えたが、全て徒労に終わった。
弥六も助力を惜しまなかったが無駄であった。

  是善と妻女は、これで敵はいなくなったと有頂天になり、昂揚した心地を抑えることが出来ない。
「さあ、今夜は酒を飲むぞ。これでもう邪魔者は消えた。拙者とお前だけの祝宴だ」
「せいせいしましたねえ」
二人は酒を飲み、抱き合い、笑い、欲望の赴くままに口づけを交し、愛し合った。
「おい酒を持って来い!」
しかし、是善が下人を呼びつけようと声を張り上げたものの、一向に姿を現さなかった。
是善は舌打ちすると、妻女に器を持たせ、酒を入れてくるようにと頼んだ。
ところが、妻女も、いくら待っても戻って来なかった。
不審に思った是善は部屋を出て、厨に行ったが、薪には火が点いたままで、その上に黒こげになった魚が置かれている。
是善は驚いて魚を退かし、燃え盛る薪の炎を消そうとした。
「誰かおらんか!何処へ行った!」
すると、彼の名を呼ぶ女があった。
後ろを振り返ると、果たしてそこには、びしょ濡れの小袖を着た、年の頃四十半ばと思しき女が一人佇んでいる。
是善は、妙な胸騒ぎを感じ、咄嗟に刀を抜いた。
「何者だ!」
酒の酔いで足元はふらついていたが、女如きに隙を見せる程の下衆ではない。
顔は酒の酔いと沸き起こってきた怒りとで真っ赤になっていたが、刀を握る腕にはいつもと変わらぬ力が込められていた。
しかし女はたじろがない。
「申せ!申さねば直ちに斬るぞ!」
「我が子は取り戻した。そしてしかと聞いた。度重なる恩に報いるためにも、お前たちの犯した罪を許すわけにはいかぬ」
是善は、刀を頭上に振り上げた。そしてそのまま地面へ向かって一直線に振り下ろしたが、手応えがない。
と、思ったその時、是善は、その斬った相手が見知らぬ女ではなく、妻女であることに気付いて驚愕した。
「お、お前!なぜだ!」
妻女の左肩から血飛沫が舞った。すると、妻女の左腕は、ぼとりと地面に落ちた。そして何やらうめき声を発しながら、前のめりに倒れて絶命した。
是善は、妻女を抱き寄せたがもう手遅れであった。
「おのれ悪霊め・・・」
是善は気が狂ったように刀を振り回した。
忽然と誰もいなくなった屋敷の中で、彼は一人、獰猛な獣のように叫び声を上げながら、空を斬るばかりの刀に一段と力を込めた。
その背後で、斬り落とされた妻女の左腕がむずむずと動き出し、それが突然跳ね上がったかと思いきや、是善の首を後ろからがっちりと鷲掴みにした。
是善は、必死に腕を離そうとするが叶わない。首の後ろにしがみつくその物体を引っ張るがびくともしなかった。
ますます強靭な力で首を圧迫していくその腕は、徐々に首の後ろからその位置を変えていき、やがて首の前にぐるりと動いた。
是善の顔は徐々に紫色と化していき、またそこで初めて、その腕が妻女の左腕であることを悟った。
苦悶の声を張り上げることも出来ないまま、是善は跪いた。
みしみしと首が音を立てて締め付けられていく。
一体何が起こったのか。何が起ころうとしているのか、朦朧とした頭の中で、彼は必死に考えたが、何もわからなかった。
是善は、このままでは首の骨が粉々になってしまうと思った。そこで彼は、刀で首に巻き付く腕を、何度も刺した。そして斬った。
手首までは完全に無くなったが、それでも指という指は鉄のようで、一向に剥がれない。
その苦しみは例えようもないほどであった。
是善は、刀を持ち替えた。そしてそれを、自らの首筋に、走らせた。
是善の首は、巻き付いていた腕と共に、体から離れ、音を立てて地面を転がっていった。その時、首に絡み付いていた腕から力が抜け、ぽとりと落ちた。
厨の薪はますます盛んに燃え広がり、それはやがて、傍らに積んでいたいくつもの薪の束を燃やし始めた。
そしてそれは厨から主屋へと移り、紅蓮の炎は一気に是善の屋敷を呑み込んでしまった。
それより以前に、是善の下人たちは、まるで夢遊病者のように、そして何かに導かれでもしているように、既に屋敷から前浜の方角へぞろぞろと歩いていた。
屋敷の大火に気付いたのは、多くの町民が騒ぎ立て入り乱れる騒々しい雰囲気に、はっ、と我に返った瞬間であった。
しかし不思議なことに、この火は是善の屋敷を焼き尽くした途端、くすぶり始めたのだった。
また、のちに下人たちは、明御前が姿を消したことに気付いたが、誰も気にも留めることはなかった。

  それから一年後、弥六は再び鎌倉で暮らすことになった。
一旦は雅忠の納屋に仕舞い込んでいた家財道具などを、全て持ち運んだ先は、かつて暮らしていた名越ではなく、一里塚の近くであった。
名越の家よりもみすぼらしい、掘建て小屋だが、他人の家で小作人のように暮らしていく必要はもうない。気兼ねなく、夫婦水入らずで生活していけるのだ。
弥六はそれが何よりもうれしかった。
鋤や鍬などの農機具から、調理具に食器、履き物や女房の化粧用具、火打ち石やひょうそく、つづらなど、以前の住まいと同じ場所に置いていく作業が、弥六にはとても楽しく感じられた。
そして、
「ん?あれは何だったか」
と、薄汚れた漆塗りの長い箱が、部屋の隅にあった。
弥六がそれを開けると、中からは五尺ほどの、弥六の身の丈ほどの絵画が出て来た。
「女房や。これは久しく飾ってなかったのう。ほれ、いつかお前が気に入って買うてきたやつじゃ」
弥六はその一幅の絵画を、壁にぶら下げた。
小袖を着た母娘が、平家と源氏の壇ノ浦合戦で、まさに今、入水自殺を遂げようとしている光景が描かれていた。
漆塗りの箱には「平家の千代女と明御前」とあった。
抱き合う母娘の顔は、死を悟った者の悲哀は感じられず、喜悦を称え、目を瞑り、永遠の時を、共有しているかのようであった。
弥六はそこでふと、その絵に描かれた女を見て、もしやと思ったが、そのことはそれきり、忘れ去られた。

    その絵は、かつて母娘を矢で射抜いて殺した武士の話を元に、名もない絵師が描いたものであった。
千代女と明御前は、是善の祖父の手によって殺されたことへの、怨みを晴らしたということなのだろうか。
しかし、因縁や業というものは恐ろしいものである。
はからずも、当人も、そして誰人も、全くそれと気付かぬまま、忍び寄ってきては、果たされてしまうものであるから。